江戸時代に活躍した、樺太(からふと)や蝦夷(えぞ)などを探検した測量家として知られる間宮林蔵(まみやりんぞう)。てっきりお墓も北海道とか北のほうにあるのかと思いきや、なんと東京都の江東区平野にございました。
晩年は深川蛤町(ふかがわはまぐりちょう)に自宅があり、そこで没したという地縁ゆえということのようです。
マンションと住宅に挟まれた墓所
何も知らないで歩いていると、うっかり通り過ぎてしまうくらいの存在感です。ちなみに本立院(ほんりゅういん)という寺院が管理してる墓所ですが、その本院やその他の墓所とは少し離れたところに、間宮林蔵墓だけ単独で在ります。
墓前の歩道とスカイツリー
本当に普通の街中にひっそりあります。私がうろうろしている間も、目に止める人や立ち寄る人は誰もいませんでした。
歩道からの眺め
墓と石碑
江東区の立札。読み応えあり
案内の立札にある通り、間宮林蔵は伊能忠敬に測量を学び、その後江戸幕府の命によって蝦夷(北海道)の地を探検したパイオニアとして知られています。さらにその北方、樺太(サハリン)を探検し、その大地がユーラシア大陸とは離れた島であるということを発見した功績で、その発見した海峡は今も間宮海峡としてその名をとどめています。
間宮林蔵はそうした冒険の詳細を、著書「東韃地方紀行(とうだつちほうきこう)」に残しましたが、これは1091年に国の重要文化財に指定されています。
意外と知られていないのは、その後のこと。
蝦夷地から江戸に戻った間宮林蔵は、御庭番、つまり幕府の隠密として歴史上の様々事件の裏で暗躍したということです。そういった能力があってこその蝦夷地探検と世紀の大発見だったのかもしれませんね。カッコイイ…
語学にも通じ、アイヌ語もかなり理解していたということです。
ちなみに間宮林蔵の師匠である伊能忠敬も歴史に名を残す大探検家ですが、門前仲町の富岡八幡宮に立派な銅像が立っています。アレって妙に大きいけど、実物大なんだろうか。うーむ。
墓の近くには、今をトキメク清澄白河のオシャレなスポットがたくさん!