清澄白河のオススメパン屋ベスト20

旧跡

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渋沢栄一宅跡|明治を創った偉人の邸宅が門前仲町にあったのだ

門前仲町の交差点から西方向、つまり隅田川の方に向かって200mほど歩いたところに、渋沢栄一宅跡がありました。あの、明治時代の傑物、日本という国の基礎を作ったと言っても過言ではない、渋沢栄一さんはこんなところに住んでいたんですね。 ...
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久しぶりの清澄庭園で発見したこと3つ(アオサギ、スッポン、スイカ)

2020年と2021年の緊急事態宣言下で閉園期間も多い清澄庭園ですが、2021円7月現在は開園しています。都民の憩いの場所に入れないなんて、まさに緊急事態。フラッと立ち寄ってのんびりできるのが街中都立庭園のよいところですが、今回久しぶりに...
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採荼庵跡(さいとあんあと)|ここ杉山杉風の庵室から、松尾芭蕉は奥州へ旅立った

江東区深川一丁目、清澄通り沿いにある採荼庵(さいとあん)は、江戸時代に活躍した俳人・杉山杉山杉風(すぎやまさんぷう)の庵室(あんしつ)です。杉山杉風の本名は市兵衛(いちべえ)と言いました。採荼庵のすぐ脇には、海辺橋があります。 庵室...
2021.06.10
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小津安二郎誕生の地|世界的な名監督は深川で生まれ育った!

小津安二郎(おづやすじろう)と言えば、黒澤明や溝口健二と並ぶ、国際的にも高く評価されている日本を代表する映画監督。その生誕の地、実は江東区の深川なんです。場所はイースト東京を南北に貫く大動脈・清澄通りのほぼ道沿い。深川1-8-8です。現在もすぐそばにある江東区立明治小学校に通っていたという、筋金入りの深川っ子です。
2021.05.28
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塩原橋/本所に過ぎたる炭屋塩原がその名の由来(墨田区-堅川)

“本所には過ぎたるものが二つあり、津軽屋敷に炭屋塩原”と謡われた、塩原太助(しおばらたすけ)が塩原橋(しおばらばし)の由来です。歌舞伎や落語の題材としても有名な塩原太助の炭屋は、この橋のすぐ北側にあったようですよ。
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清澄庭園|三菱・岩崎家が残した、清澄白河駅徒歩3分の回遊式林泉庭園で名石めぐり

東京都指定の名称である清澄庭園(きよすみていえん)は、江戸時代から始まり岩崎家が完成させた、回遊式林泉庭園。数々の歴史的な事件や災害の被害を潜り抜け、いまも訪れる人々を楽しませてくれる名庭です。庭園内には、趣のある建物や美麗な築山・枯山水はもちろん、全国各地から集められた名石が趣向を凝らして配されています。
2021.07.06
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日本橋/日本の中心、ただただ惜しい歴史的名橋(中央区-日本橋川)

日本の中心がどこなのか?という議論は大いにあるかもしれないけれど、日本の道路の中心は誰の異論もなく日橋(にほんばし)。橋自体も、大迫力の石組橋梁、絢爛豪華な欄干装飾、徳川慶喜による親柱の橋名揮毫などなど、超スペシャルな存在なのですが、本当に本当に惜しい特大の残念ポイントが1つ。前を走る高架の首都高速、どうにかしてくれい!
2019.05.25
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薬祖神社/日本橋室町・福徳の森で無病息災を全力祈願

日本橋の北側エリア、コレド室町の裏手にある憩いの広場・福徳の森の一角に、薬祖神社(やくそじんじゃ)というこじんまりとした社があります。見るからに新しい社殿を囲む壁柱には、有名な製薬会社の名前がズラリ。薬業界に所縁の深い、「くすりのまち」日本橋の象徴を訪ねてきました。
2019.06.15
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濱田庄司生誕の地碑/民芸を愛した人間国宝の陶匠は、川崎生まれ

明治27年(1894)、後に第一回目の重要無形文化財(人間国宝)にも認定された陶芸界の巨匠・濱田庄司(はまだしょうじ)。栃木県の益子や沖縄壺屋のイメージが強い濱田庄司だが、実は川崎市生まれ。彼は、生涯この地から住民票を写さなかったといいます。
2020.02.21
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平賀源内電気実験の地/エレキテル実験の地は江東区深川だった

エレキテルを修理して、日本初の電気実験をした人物として知られる平賀源内。1776年(安永5年)、ここ江東区深川(現在の住所は江東区清澄1丁目)の地で、平賀源内48歳の時にその実験は行われたということです。現在はポツンと1本、ささやかな石碑が立っているだけですが、両国橋を渡ったこの地で行われた世紀の大実験に思いを馳せながら、周辺を歩いてみました。
2020.02.20
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間宮林蔵の墓/海峡に名を残す探検家の墓は、東京都江東区にあった

江戸時代に活躍した樺太(からふと)や蝦夷などを探検した測量家として知られる間宮林蔵(まみやりんぞう)。てっきりお墓も北海道とか北のほうにあるのかと思いきや、なんと江東区平野にございました。
2020.11.03
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