2019年現在、東京オリンピック2020の選手村建設が、急ピッチで晴海埠頭周辺にて進んでいます。
では、前回1964年開催の東京オリンピックの選手村がどこに建設されたかをご存知でしょうか? 答えは代々木公園。広い園内の片隅に、当時オランダ選手団に実際に使われた宿舎が一棟、当時の姿そのままで残っています。
代々木公園ができるまで
原宿駅から徒歩すぐ、明治神宮に寄り添うように広がる広大な都市型森林公園が、今の代々木公園。
かつて江戸城防衛の武家地だった敷地は、明治の後半に日本国陸軍の練兵場とその姿を変えていきます。激しい練兵によって砂嵐が吹きすさぶ荒地となった土地は、代々木の原と呼ばれていたそうです。
1945年の終戦時に連合国軍の接収にあって以降は、ワシントンハイツという呼び名で米軍将校の宿舎群が建設されました。敷地内には学校はもちろん、病院やクラブ、劇場なども建設され、アメリカの軍人たちが家族と共に生活をしていました。
その後、2959年に東京オリンピックの開催が決定した際、神宮近辺の会場にとてもアクセスが良いこの地が選手村の候補にあがり、政府と米軍との交渉の末に接収が解除され、選手村用地として日本に返還されました。
ワシントンハイツとして使われていた800戸超の住居は、オリンピックの各国選手団の宿舎としてそのまま活用されました。その当時に使われた建物が、代々木公園の敷地内にそのまま1棟残っていることを知る人はあまり多くないようです。
そして、かつて選手村として使われた歴史を伝えるため、丁寧に保存がされています。
東京オリンピック1964 オランダ選手団宿舎
原宿駅から代々木公園に向かい原宿門から園内に入ると、すぐ右手に「まちのこども園」があります。(こちらもとても木になる建物&施設なのですが、それはまた今度…)
「まちのこども園」の園庭に沿って右手に回っていくと、すぐ先にかわいらしい横長の平屋が1棟見てえきます。
薄いチャコールグレーの屋根に、真っ白な壁、一見して木造とわかる素朴なフォルムに、ミントグリーンの窓枠と柱がアクセントを加えています。建物は間違いなく当時のママとのことですが、この胸キュンなキキララ的色使いはオリジナルなんでしょうか?
周囲は木の柵に囲われており、残念ながら間近に寄ることは叶わないのですが、同じ平屋が1000棟近くこの公園に並んでいる光景を想像すると、ジワジワと胸が熱くなってきます。
宿舎裏に残る保存園
建物の裏には保存園というスペースがあり、オリンピックの際に各国選手団が持ち寄った各国の木々が植えられました。すべては残っていませんが、いくつかその歴史を伝える樹木も残ってます。
と言うのも、実は豊かな森だからこそ、土地の固有種以外が根付きにくいのだとか。豊かな森には菌がたくさんいるので、その活発な菌が外来種を攻撃して駆逐してしまうというワケです。
そうした菌のおかげか、保存園のまわりには、のびのびとした楠(くすのき)や欅(けやき)、広く枝を広げた椎木(しいのき)が大きく大きく育ち、公園に訪れる人々に木陰を豊かな提供しています。
おしまい
さて、あと1年度に迫った東京オリンピック2020。
競技や選手も気になりますが、オリンピックをとりまく建築物もとても気になるところ。大会後もそのままの形で使われる競技場、この代々木公園のように役割を終えてもその姿を残すもの。
オリンピック期間は一瞬ですが、その前も後も、じっくり東京を歩き回って楽しめるところがいっぱいです。あー楽しみ。
以上、はいかいちゃんでした。