2017年に公開された「ブレードランナー 2049(Blade Runner 2049)」。カルト的な支持を集める前作「ブレードランナー」から、35年を経て公開された続編は、いったいどうなってしまうのか。結果は、最高。大傑作です。前作はカルト的な支持が云々… とか一切気にすることなく、とにかくすばらしい”映画”に仕上がっています。
超オススメ!
前作から2049ヘ、変わった&変わらないところ
監督サー・リドリー・スコット(2003年にナイトの称号授与!)が製作総指揮に回ったとはいえ、前作「ブレードランナー」の正統的な続編となる「ブレードランナー 2049」。なぜ続編公開まで35年かかったのか、様々なことが言われていますが、本当のところはわかりません。
ただ、変化しているところと、変化していないところを見ることで、その経年の意味をなんとなく想像してみることはできます。
(前作のレビューは↓)
変わらないところ/未来の方向性、そしてテーマ
1982年に描かれた未来世界の方向性、これはまったく変わりません。人類最高の知能によって創り出された、人類最高とほぼ同等の知能そして強靭な身体を持つ人造人間・レプリカント。このレプリカントと人間との共存と争いが、常にストーリーの中心に置かれます。
特にイメージとしての世界観は、前作しっかり引き継ぎつつ、より技術的な進化と先鋭化、そして退廃が進んだ30年後の未来が、圧倒的に美しい映像で映し出されます。ファンはこれだけで、ほぼ涙目。笑
そして重要なのは、映画の底を流れる重大なテーマです。
「極限まで人間化したレプリカントと人間は、何が違うのか?」という前作で提示されたクエスチョンは、2049においても引き継がれます。
むしろ、よりレプリカントの”人間度”を高めた形で、その回答を迫ってくるわけです。
変わったところ/絵作り、テーマの明示
アーティスティックと言えるほどの絵作り、これにはシビレました。その画面1枚で宣伝のスチールに使えそうなシーンのオンパレードです。方向性は違えど、ソフィア・コッポラ的な偏執を感じます。
前作はその世界観を持ってジワジワと世界に衝撃を与え、その後のSF映画の世界観構築に影響力を持ち続けました。ブレードランナーチルドレンを自称する、人気監督も多数います。
今回の2049で、例えばまたその後四半世紀入力まで影響を及ぼし続けるような実験的なヴィジュアルや設定を志向する、という方向性もあったのではないかと思います。というか、そういった野心はあって当たり前でしょう。しかし、2049(ドゥ二・ヴィルヌーブ)はそういった道へは一切進まず、『ブレードランナー』の世界観をより深化させる道を選んだのです。
その一つの方法が、あらゆる点において極めて過剰な市”街”地と、要素と色を極限までそぎ落とされた市”外”地とを、映像(色)でビビッドに対比させることだったのではないかと思います。
光が強まれば闇もまた濃くなるように、市街地への技術・情報・人間の過剰に集中する一方で、その周辺の外地は殺風景が極まった単色の世界へと変わっていたということなのかもしれません。
冒頭にKが向かった、隠れレプリカントであるサッパー・モートンが暮らす地は薄青い白の世界。
Kが幼少期を過ごした(偽の記憶…)児童労働施設がある産廃山脈の鈍色。
デッカードが潜伏隠遁していたラスベガスは砂塵が舞うオレンジの世界。
ネオンきらめく明るい闇と、自然光にさらされたモノトーンの昼間、このアンビバレントな対比は、前作ではまったく無かったものです。
そして今回、
「極限まで人間化したレプリカントと人間は、何が違うのか?」という論点がある種映画鑑賞の前提になっている点は、大きく変わったところです。
そして前作では、どちらかと言えば「人間=善玉」「レプリカント=悪玉」のように描かれていました。(ブレードランナーを観て涙を流す人は、ほぼみんなロイ・バッティに肩入れしているわけですが….)
しかし本作では、まず主人公Kがレプリカントであることからもわかるように、観客がレプリカント側からの視点で2049の世界を生きることになります。
レプリカントの寂しさ、切なさ、押し殺した欲望、希望、夢、そんなありったけの”人間らしさ”をほとばしらせるKに、当然のように感情移入している私たちがいるわけです。
ちょっとだけ、あらすじ ※ネタバレ無し
まずはAmazonプライムの作品紹介から。
2049年、LA市警のブレードランナー“K”(ライアン・ゴズリング)はある事件の捜査中に、人間と人造人間《レプリカント》の社会を、そして自らのアイデンティティを崩壊させかねないある事実を知る。Kがたどり着いた、その謎を暴く鍵となる男とは、かつて優秀なブレードランナーとして活躍し、30年間行方不明になっていたデッカード(ハリソン・フォード)だった。デッカードが命を懸けて守り続けてきた秘密—世界の秩序を崩壊させ、人類存亡にかかわる真実がいま明かされようとしている。© 2017 Alcon Entertainment, LLC. All Rights Reserved. ~以上、Amazonから引用~
このブレードランナー”K”は、ネクサス9型レプリカントです。ちなみに前作のロイ・バッティら反逆レプリカントはネクサス6型。
極めて人間に従順なネクサス9型ではありますが、人間らしい感情はしっかりとあり、その証拠にKはウォレス社製の家庭用ホログラムARロボット”ジョイ”と仲睦まぢく暮らしており、ジョイのことを愛しています。
そしてKは、ある旧型レプリカントを解任(抹殺)するブレードランナーとしての任務中に、隠されそして守られた秘密の扉を開いてしまいます。
一度開いてしまった扉はもはや閉ざすことはできず、Kは真実に向かって一人奔走するのです。
それにしてもK、いじめられ過ぎ。上げて下げて上げて下げて、(それこそレプリカントじゃなかったら…)ぶっ壊れて当たり前なほどの酷使っぷり。
ライアン・ゴズリング様、切なすぎる演技をさせたら右に出られる方はいません。さすがです。
— これ以降は、ネタバレ的な要素も含みます —
人間と人間”もどき”を隔てるものとは?
作中なんども登場する、
「人間もどき(skin job)!」
という言葉。自分より優秀でタフなレプリカントに対して、人間が吐き捨てる嫉妬と優越感が混じった蔑称です。
そんな理不尽な言葉を無表情で受け流し、ひたすらタフなKは従順に着実に任務をこなす日々。
前作「ブレードランナー」の紹介記事で、私はこう書きました。
2049は、まさにその点がストーリーの核心。
つまり、レプリカントに人間同様の生殖機能があり、レプリカントから産まれた子供がいるらしい、というストーリーの進展です。
その隠された事実を発見したのがKなのですが、しかもその“特別な子供”が自分自身かもしれないということで、Kは激しく興奮し動揺するのです。
Kは、2049のロイ・バッティ。
ロイ・バッティは言いました、
「思い出も時間と共にやがて消える。雨の中の涙のように。死ぬ時が来た。(All those moments will be lost in time,like tears in rain.Time to die.)」
Kは常に無表情で多くは語りませんが、自分が特別かもしれないという可能性の高まりとともに、その感情が漏れ出します。
物語の最期、自分自身がこの壮大な叙事詩の微かな痕跡となったKは、雪の中の涙のように、彼がここまで生きてきた意味と共に、そっと消えていくのです。
見事な着地。
ラブストーリーとしてのブレードランナー
Kとジョイと(アナ・デ・アルマス)の切ない恋物語が繰り広げられる本作。
その結末も、なんの慈悲もなくズタズタに切り裂かれ、救いようのないSFに吸収されていきます。
ウォレス社の1商品であるジェイは、恋人以上の存在としてKと心を通わせますが、通わせたものはただのアルゴリズムの産物でしたと言わんばかりの二人の別れ。傷だらけのKに、娼婦モードのBIGジェイに追い打ちまでかける鬼畜っぷり。
それにしても笑えない。
もうそんな未来はすぐそこに来てますね。
バーチャル(スキンシップ無し)な恋愛なんてとっくに始まっているし、自分が長年やり取りしていた相手が「実はAIでした。」なんてことも、実はすでに起きているかもしれません。
もはや人間とAI(VR )、AIとAI同士の恋愛があたり前になることは不可避な流れ。
社会問題化や法整備の前に、これからさらにそういった題材の映画やドラマが量産されていくことになるのでしょう。すでに結構ありますよね。「Her」は観ているのがつらかった…
次のテーマは、もはや生殖をすべき必然性がなくなった人間同士の、新しいコミュニケーションのあり方に移っていくのだろうと思います。
性、そしてセックスというものが、また時代とともに隠されていくということもあり得るでしょう。50年後、2070年の世界はどうなっているでしょうか。
まだ生きてるかしら。
まだ少女の面影を多分に残したアナ・デ・アルマスちゃん。
「007 ノー・タイム・トゥ・ダイ」ではどんな感じになっているのか。早く観たい!
おしまい
「ブレードランナー2049」とても素晴らしい映画でした。これを映画館で観られなかったことが悔やまれますが、深夜に暗闇の自宅で鑑賞するのもなかなかオツでした。意外と簡潔なストーリーではあるものの、鑑賞後に話したいテーマがみっちり詰め込まれた、歴史に残るハリウッド映画です。
終わり方が美し過ぎて、もう続編はないですね。少なくとも30年は。笑
ハリソン・フォード!