合わせ鏡としての「ブレードランナー」
令和がはじまりました。
世に憚りきれない昭和晩年生まれのはいかいちゃんですが、良くも悪くも溌溂と駆け抜けた平成のことはキレイさっぱり忘れて、新しい時代への期待でなんだかウキウキしています!
そんな今、未来に思いを馳せる時に「過去に想像した現在」を眺めてみることは、とても有意義だし面白いことのように感じます。
例えば40年近く前(1982年!)に公開された「ブレードランナー」が描く2019年は、現実の2019年と比べてどのようでしょうか。 さらにその先30年後、2049年はどう見えてくるでしょう。
まったく違うようにも見えますが、実はどこか確かにつながっているように、私は感じます。
BLADE RUNNER is a trademark of Blade Runner Partnership. Blade Runner: The Final Cut © 2007 The Blade Runner Partnership.TM & © 2007 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.
「ブレードランナー」が生きながらえた平成という時代を少し振り返ってみると(がんばって思い出してみると…)、私にとっての平成を表すキーワードは「東京」「WEB」「家族」でした。この3つの言葉を取っ掛かりとしながら、「ブレードランナー」の描く2019年βについて考えを巡らせてみることにします。
AMAZON/ブレードランナー ファイナル・カット [Blu-ray]
ちょっとだけ、あらすじ ※ネタバレ無し
BLADE RUNNER is a trademark of Blade Runner Partnership. Blade Runner: The Final Cut © 2007 The Blade Runner Partnership.TM & © 2007 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.
観たことがない方のために、ちょっとだけあらすじを。Amazonプライムの作品紹介から引用してみます。
少し補足すると、人造人間であるレプリカントは、地球外の過酷な環境で奴隷労働を強いられているわけです。そんな中、高度な知能を持つレプリカントの中には人間的な“感情”を持つ個体も出現しました。
奴隷労働を精神的に“苦痛”と感じ、そこから解放されたいと強く願った数体のレプリカントが反逆者となります。そして、自らにインストールされている寿命の延長を果たすために、危険を冒してはるばる地球へと舞い戻ってきたというわけです。
— これ以降は、ネタバレ的な要素も含みます —
ネオン煌めくオリエンタルシティー(ほぼ新宿歌舞伎町)/東京
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この作品を観てまず驚くのは、「これって東京じゃん!」ということ。あと香港。
乱立するビルと他言語で輝くネオンサイン、その谷間を蠢くネズミ色の雑踏と、一杯食堂のおっちゃん。笑 まんまです。リドリー・スコットが思い描いた未来は、東京化する世界(アメリカ)だったことは、間違いのないところでしょう。
時は1982年初頭のバブル景気前夜。世界における日本の存在感が増していっていた、その時代の雰囲気がこんなところにも現れているのかもしれません。
極めて局所的にギラギラと発展(?)している東京に、大気汚染や公害によって人間が住める場所が制限されているかもしれない未来のアメリカの都市の姿を、重ね合わせたとも想像できます。
いずれにしろ、実在した商品名や日本語が飛び交う「ブレードランナー」的ロサンゼルスの景色には、何度見てもドキドキさせられてしまいます。
そんな文脈もあり、都市中央に絶対的な存在感と違和感をもってそびえ立つタイレル社の威容は、なんだか皇居のメタファーのような… 妙にドキドキしてしまうのは、私だけでしょうか?
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テクノロジーが支配し支配される、シュミラークルな世界/WEB
作中に登場するレプリカントには、”3つ”のタイプがいます。
- 自分がレプリカントだと認識している、レプリカント
- 自分がレプリカントではないかと疑っている、レプリカント
- まったく人間のように描かれているが、実はレプリカント
具体的には、ロイ・バッティ(ルトガー・ハウアー)率いる人間(タイレル社)に反逆したレプリカント達が[1.]。しハリソン・フォード演じる主人公デッカードと恋に落ちるタイレル博士の秘書レイチェル(ショーン・ヤング)が[2.]。
問題は[3.]です。
「ブレードランナー」にまつわる長きにわたる議論の中心は常にこの点にあり、別バージョンの度重なる公開も、この論点への回答を意図したものだとも言われています。
すなわち、デッカードはレプリカントなのではないか? という疑問です。
「デッカードが人間かレプリカントのどちらであるのか」ということよりも、数学的には“0.999…”と“1”は同じ数であるように、「“高度に人間化したレプリカント”は、もはや“人間”と何が違うのだろうか」という哲学的な問いかけが、胸に迫ります。
BLADE RUNNER is a trademark of Blade Runner Partnership. Blade Runner: The Final Cut © 2007 The Blade Runner Partnership.TM & © 2007 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.
ストーリーに話しを戻すと、仮にデッカードがレプリカントだった場合、もはや誰もがレプリカントに見えてきます。タイレル社の総帥であるタイレル博士すら、自らのクローンとしてのレプリカントであるかもしれないと考えると、世界はすでにレプリカントが支配している可能性すらあるわけです。
そして現実の2000年代、急速にWEBが広まり、”検索”はもはや日常生活に欠かせないものになっています。かつてはどう活用するかがテーマでしたが、現在では逆に”検索”によって自らの行動が全てコントロールされているかのようです。世界は”検索”の中にあり、検索ワードとその結果の外側にあるものはまったくのゼロです。
レプリカントとgoogle。生活を便利にするために発展したツールであったものが、いつの間にか全てを司る神のような存在になっているという点は、この2つに共通しています。そして、この絶対的なツールを完全に「解体」することはできないところまで世界は進んでしまっているという点も同じです。
だとすると我々がやるべきことは、より本質的な人間らしさや豊かさについてしっかり考えること。そして、このかつてのツールが支配する世界の中で、人間らしさや豊かさを獲得するにはどうすればよいかを考えることのような気がします。
※google的世界での自分の広げ方について、とても面白い内容が書かれています。
超オススメ。
アンドロイド(AI)は天然人間への夢を見たのだ/家族
未来への希望を失い、仲間を失い、追い詰められて躍動する反逆レプリカントの首領ロイ・バッティ。「ブレードランナー」の影の主役です。明確にレプリカントとして登場するロイ・バッティですが、最後の最後までこれでもかというくらい”本物の人間らしさ”を炸裂させています。デッカードがレプリカントであるかという疑問については作中でまったく触れられないのとまったく逆ですね。
ラストの戦闘シーンでなぜかおもむろに上半身裸になるロイ・バッティは、アンドロイド=機会仕掛けという私たちの先入観を攻撃し、極限まで人間化したレプリカントと人間は何が違うのか、という疑問を改めて強烈に投げかけます。最初に観た時は「ここでなせ裸に!?」と戸惑いましたが。笑