平久川にかかる平久橋(へいきゅうばし)の紹介です。橋の西詰には、東京都指定有形文化財である波除碑(なみよけのひ)、そして津波警告の碑が立っています。この平久橋があったあたりは、江戸時代のちょうど海岸線。かつて水害に苦しめられた付近の歴史を宿す、重要な橋です。ポニートラスという珍しい構造にも注目です。
平久橋の由来について
そもそも平久(へいきゅう)という名前は、旧町名である平富町と、久右衛門町の間にあったことに由来します。この平久という名前を冠した、深川平久町という地名もかつてはありましたが、今はありません。現在の木場一丁目~木場六丁目あたりがそのように呼ばれていたようで、深川ギャザリアがある一体も深川平久町の一部だったようです。
かつてのこの辺は、江戸湾のほぼ海岸線。洲崎と呼ばれる海岸の西端であり、江戸の景勝地として知られていた地域でした。なので、橋の西側の牡丹町も、北側の木場も、江戸時代以降に造成された埋め立て地です。そのため、高潮や津波により、度重なる被害を受けた歴史があるわけです。
現在の橋は、1927年に他にも数多ある関東大震災の復興橋梁のひとつとして架けられたもの。すぐ近くの東富橋と同じ“深川鼠”の塗装がされています。
波除碑と津波警告の碑
写真中央にある、上部が砕けた石碑が波除碑です。今から200年以上も前の、1794年に建てられたものです。ももともとの姿の1/3ほどの高さになってしまっているとのことですが、1942年には東京都の有形文化財にも指定されている、とても歴史的な価値のある遺構です。
すぐ隣に立っている看板に、その由来について説明があります。1791年(寛政三年)に襲来し、多くの死者と行方不明者を出した高潮に端を発する建造物とのことです。この波除碑、実は二つでセット。もう片方は、近くの洲崎神社に残っています。
平久橋から見た風景
平久橋の北側風景です。
この橋も、隣を平行に水道管があるため、しゃがんで写真を撮りました。すぐ先に、大横川と平久川が交差しているポイントが見えます。奥に見えるのが、永代通りを東西に渡す汐見橋です。橋の高欄が南北で半分ズレている面白い橋です。東西に流れる大横川の西側には、江東都市景観重要建造物に指定されている東富橋(とうとみばし)があります。
南側の眺めです。隣に見えるのは、時雨橋(しぐればし)。これまた由緒ありげな、美しい名前の橋ですね。
川の左側に見える茶色のビルは、深川ギャザリアの一部です。その手前は区立の平久小学校があります。
平久橋の構造と装飾
平久橋はトラス橋ですが、その中でも天井部の上横構を持たないポニートラスと呼ばれる特徴的な構造をしています。この構造は小規模の橋で採用されることが多いのですが、それなりに長さがあるためか、なんだか不思議な印象です。
トラスの鉄骨からはニョキっとモダンな三角形の街灯が生えています。とても印象的なデザインです。
印象的と言えば、より気になるのが親柱上にでーんと鎮座しているこのモニュメント。
東詰のこちらは、植物に覆われて原型がよくわかりませんが、四方にほぼ同じ形状ものがのっかっています。
橋の下には、花のレリーフが。なぜここに。誰の為に設置されたものなのでしょう。運河をゆく船に乗る人々のためかな?
おしまい
景色 ★★
容姿 ★★★
価値 ★★★
ポニートラスの特徴的なデザインのよい橋です。橋自体より、袂にたつ波除碑などの文化財とあわせて見物したい、江東区ならではのスポットと言えるでしょう。深川ギャザリアのお買い物ついでにぜひどうぞ。
おまけ